文明を支え見守り続けた悠久のナイル川

文明を支え、見守り続けた悠久のナイル川


ナイル川は6,650kmの世界最長級の河川で、アフリカ大陸東北部を流れ、地中海に注いでいます。よく、ナイルはエジプトの賜物と言われますが、なぜそのような言葉があるのでしょうか?ここでは、ナイル川の歴史とナイル川沿いにあるカイロを紹介します。

歴史

ナイル川下流域にあるエジプトは、世界最古の文明の栄えた土地として知られます。紀元前3800年頃、既に古代エジプト文明が成立しており、紀元前3150年頃には統一国家を形成してエジプト古王国となります。それ以降も肥沃なナイル川を基盤に、独自の文明を築きました。

また、南部にあるヌビアでも、エジプト文明の影響を受けて王国が形成され、紀元前2200年頃にクシュ王国が建設されました。クシュがトトメス1世によって滅ぼされますが、紀元前900年頃にナイル第4急流付近にあるナパタで再興します。紀元前747年には、第3中間期のエジプトに攻め込み、エジプト第25王朝を建設しました。それから50年後、アッシリア史上最後の偉人とされるアッシュールバニパル破れ、第25王朝はエジプトの支配権を失うものの、ナパタ王朝はそのまま残り、紀元前6世紀頃にメロエに遷都した後も長い間繁栄しました。メロエは、現在のスーダン首都ハルツームの北東に栄えた黒人による文明で、鉄鉱石や樹木が豊富で、盛んに製鉄が行われました。350年頃、メロエはエチオピア北部に本拠を置いていたアクスム王国に滅ぼされたと言われています。メロエが滅亡した後、ノバティア・マクリア・アロディアの3王国に分かれました。

4~5世紀にかけて、エジプトやヌビアでもキリスト教が受け入れられますが、639年のイスラム帝国の侵攻により、エジプトが征服されてからイスラム化します。ヌビアはキリスト教王国が生き長らえたものの、北イスラム勢力の圧力によって少しずつ衰え、最後まで残ったアロディアも14世紀頃に滅亡し、その後イスラム教徒にフンジ王国などが建てられました。

19世紀、エジプトでオスマン帝国から半独立の王朝を築き上げたムハンマド・アリーがヌビアへ侵攻し、フンジ王国を滅ぼします。さらに、王国の南に住むヌエル人やシルック人を征服し、中流域をエジプトの支配下に加えたのです。
イスマーイール・パシャの時代になると、さらに南下して1869年にはスーダン南端にあるゴンドコロ(現在のジュバ)まで進出し、赤道州を設置します。

ナイル川沿いの都市-カイロ-

カイロはエジプトの首都で、アラブ世界において最も人口の多い都市でもあります。この都市の人口は675万8581人(2006年現在)、また、近郊を含む都市地域の人口は1,729万人で世界第11位に入っています。
土地のほとんどを砂漠が占めるエジプトの唯一の水源がナイル川です。「エジプトはナイルの賜物」とあるように、たいへん深い関係にあります。この国では古くから、夏の終わり~秋にかけて起こるナイル川の洪水を活用し、洪水が終わった後に種をまいて、春に収穫する農業を行っていました。エジプトにはほとんど雨が降らないため、ナイル川の洪水のおかげで作物を育てることができたのです。

カイロの観光地

ガーマ・ムハンマド・アリ

世界遺産に登録されているカイロのシンボルと言われるモスクで、イスラム地区南東モカッタムの丘の要塞の中にあります。この場所からカイロ市街が見渡せるため、観光に適しています。ドーム内にはシャンデリアがあり、ずっと眺めていられる程綺麗です。

ハーン・ハリーリ

迷路のような道になっていますが、タペストリーや民族衣装、アクセサリーなど、お土産を買うのにぴったりの場所です。特に香水瓶が人気で、砂漠の砂を持ち帰る人もいます。購入する時は値段交渉で、どれだけ言い値を下げられるか見せ所ですが、店員さんを怒らせないよう値切るのは程々にしましょう。

まとめ

時代の移り変わりを見守り続けたナイル川は、降雨の少ない土地に水を与えて作物を作るチャンスをくれました。カイロを観光する時は、今回紹介したガーマ・ムハンマド・アリなどにも足を運んでみてください!

参考
www.jica.go.jp

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